大伴 家持(おおとも の やかもち)ってどんな人でしょうか?
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大伴家持(718年~785年)は奈良時代の歌人、公卿(くぎょう)です。
公卿は当時、国の政治を担う職位。
つまり政治家だったということです。
延暦年間には中納言(ちゅうなごん)という職位になりました。
小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)では
中納言家持(ちゅうなごんやかもち)という名前です。
彼もまた三十六歌仙の一人です。
三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)
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大伴家持の長歌や短歌など、合計473首も『万葉集』に収められています。
なんと、その数は『万葉集』全体の1割を超えているほど。
このことから家持(やかもち)が『万葉集』の編纂(へんさん)に関わったと考えられています。
そんな大伴家持(中納言家持)の歌はこれ。
かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける
ひらがなだけで書いてみます。
音のリズムを感じてみましょう。
かささぎの
わたせるはしに
おくしもの
しろきをみれば
よぞふけにける
天の川に架かる橋が、霜が降りたように真っ白だ。
冷え冷えしてきたな。
ずいぶんと夜も更けている。
そんな夜空を表現している歌です。
カササギ
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天の川に橋を架けたと言い伝えられているカササギ。
中国の伝説、七夕。
彦星(ひこぼし)と織姫(おりひめ)が一年に一度、
天の川にかかった橋を渡って再び出会えます。
その橋はカササギの群れが翼を広げて架けるのです。
この歌が詠まれた当時、カササギは日本にはいなかったそうです。
大伴家持はカササギを白い鳥だと思い表現したのです。
空気のきれいな奈良時代の夜空は、
天の川がクッキリと鮮やかに光り輝いていたことでしょう。